高裁へ逆転勝利まで

大きなショックを味わったが、荻野幸夫氏と会は控訴する事を決意し、2003年2月21日、第一回控訴審が行われた。その後、7回の控訴審が行われた。

また、運動も新たな段階を迎え、全国へ支援を広げる事になった。会員は全国規模の大会があれば、署名やカンパ活動に出かけていった。

一方裁判では、教え子をはじめ多くの証人から新たな陳述を得、これを採用するよう裁判所に要請した。しかし一人も採用される事無く結審した。 特に、新宮医師の陳述は荻野事案の大きな争点だっただけに、この証人不採用は、大きな不安材料だった。

それにつけても毎回傍聴席に入りきれない人が公判に参加してくれた事は大きな励みになった。そして大阪の堺教祖、京都職対連の家族の会など、支援の輪もさらに広がった。

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