トップ荻野先生過労死裁判 逆転勝利判決報告集Top 逆転勝利報告とメッセージ 主な意見書・陳述書を執筆いただいた医師・研究者のみなさん

主な意見書・陳述書を執筆いただいた医師・研究者のみなさん逆転勝利報告とメッセージ

新宮 正 (三友堂病院医師)

荻野恵子さんの脳出血による死亡が大阪高裁に於いて「公務上」とされた判決は単に、京都地裁の余りにも杜撰な判決が否定されたという事実のみにとどまらず、教育者としての荻野さんの情熱と努力が正当に評価され、さらに、その結果としての肉体的・精神的な負担が、もやもや病の出血発症の原因になったという、誰の目にも明らかな論理が司法の場に於いて、そのまま認められたという点で至極当然の結果でありました。

しかし、これを「画期的」と言わなければならないことは、依然として労働者の健康がないがしろにされていることを示すものです。

このような状況の中で、これまで粘り強く荻野さんの公務の実態と教育現場の実態を明らかにして、この当然の論述が正しいものであることを如何なる思惑をもってしても突き崩すことのできない不動のものとした御家族、同僚、支援者、そして弁護団の方々の努力と熱い思いに心から敬意を表します。この10年余の素晴らしいたたかいの歴史の最后の部分に私も加えていただけたことを誇りに思っております。有難うございました。

これをあらたな礎として、誰もが健康で幸福な生活をおくることのできる社会の実現のために医師として、一層の努力を続ける所存です。

裁判所に提出された私の意見の骨子は甲第238号証「意見書(II)」の末尾に集約されておりますので当該部分を以下に引用して荻野さんへのはなむけとさせていただきます。

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「教師の新しい役割発揮」に向けて - 八木英二(滋賀県立大学 教授)

荻野先生過労死裁判には今後に考えるべき貴重な内容があります。それはこれからさらに深めたい「教師の新しい役割発揮」についてです。過労死の認定は管理運営のあり方と学級崩壊の事態にかかわることに各紙とも注目しました。今日の日本で克服され難い社会的困難のひとつを示したといえます。一審から続いた主要な論議のひとつでしたが、なお教育施策の矛盾が教師に集中する諸困難を思わずにはおられません。その点で今回の勝利判決には勇気づけられるものがあって、ささやかではあっても、原因を教師だけに押し付ける教師バッシングの軌道修正につながる大きな一歩であったと感じています。教師に教育困難の責任が一切ないという意味ではありません。法廷の陳述では、先生の健康安全の問題が教師本人のためだけでなく子どもの成長と発達のためにも絶対に必要であることを強調し、関連事実をいくつか紹介させて頂きました。先生のあたりまえの市民生活を大切にしないで、あるいは条件整備をないがしろにしたままで教育は望めません。教育をめぐる未来を考えるとき、「教師の開かれた専門職性」とともに、子どもと教師と学校を本当に大切にできる社会を建設するという必須の課題にこれから挑戦していかなくてはなりません。巨大な生産力を手にしている人間の、平和で民主的な生産関係と社会関係における教師の新たな役割が発揮されなくてはならないでしょう。取り組みは緒についたばかりです。

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荻野裁判勝利によせて - 小林 充(京都協立病院 医師)

逆転勝利おめでとうございます。しかし、教壇で倒れた荻野先生御自身が取り戻せるわけではありません。

今回の判決は、難病であっても、過労によって自然経過が促進された可能性が強ければ公務上として認定すべきとされた画期的なものであると思います。

私自身、医師としていろいろな学びを得たように思っています。地域の医師として、目の前の患者様を誠実に診ていくことを積み重ねようと生きてきた自分が、ご本人と面識のない荻野さんのことを最も印象深い患者さんであったかのように感じていることに驚いています。

述べていることの内容ではなく、述べている医師の肩書きを取り沙汰した一審判決に打ちひしがれ、「二審に向けての医学的意見書はもう少し偉い先生に頼んでくれ。」と逃げたことや、二審の判決が事実経過を十分把握せずに公務過重ではないとした被告側の医学的意見を批判したことに感銘したことが、私の医師としての小市民性を表現しているようで恥ずかしくてなりません。

力量不足で余り力にはなりませんが、頑張る方が倒れなくてすむような世の中にするのに役立つなら、これからできる範囲で手伝わせてもらおうと思っています。

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二重の喜び - 吉川 武彦(中部学院大学大学院人間福祉学研究科/教授・国立精神・神経センター精神保健研究所/名誉所長)

「京都の弁護士の井関です。その節はお世話になりました」という柔らかな口調の電話に始まったこの裁判との関わりは、私は二重の喜びをもたらした。

チェンジアップの井関さんとストレートの佐武さんから裁判の経過を聞きながらこの組み合わせがいいと感じていた私。そして「資料が出れば弁護できますか」と確かめて膨大な資料を整理してくださったのが大橋さん。その彼を多くの方々が支えても下さったことが逆転勝訴につながった。これが第1の喜び。

注文した資料はたちまちわが家と勤務先に到着。鑑定書にも大いにこれらを生かした。研究論文は事実を正確に読みとればいいが、行間を読み込まなければならないのが裁判関連資料。書き上げたものがどう用いられるかは裁判官の胸三寸にある。

胸を突き動かすものを書かなければならないが、いい読み手にぶつからなければ心を込めて書いたものも無駄になる。いい読み手のぶつかったのが第2の喜びである。

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ひとが大切にされる学校に - 築山 崇(京都府立大学 教授)

昨年度、心身の不調から休職中の教員が過去最多となり、その過半数は精神性疾患であると報じられています。教員の心身を疲弊させる学校という場が、子どもたちにとっても決して居心地の良い場でなくなっていることは、不登校・登校拒否の実態にも表れています。今回の勝訴は、公務災害としての認定を勝ち取った点では喜ばしく、「会」の皆様のご尽力に心から敬意を表すものです。と同時に10年前の荻野学級の状況が、子どもたちにとっても、荻野先生にとっても不幸なものであったことがあらためて認知されたという点では、心に重たいものが残る結果でもあります。

当時の学級の様子の聞き取り内容は、「荒れ」の状況と並んで担任教師と子どもたちとの間の思わぬ距離を感じさせるものでした。学級は、子どもたちにとって学習集団であると同時に生活集団でもあり、家族的な雰囲気のなかで人間的な共感や思いやりが育つ場でもあります。10年前といえば、バブル崩壊後の景気の低迷、先行きの不透明感が現代にも通じる様相をすでに呈していた時期です。当時同様今日でも、子どもたちは家庭・地域生活での様々な矛盾・困難を背負って学級に集い、教師たちは新たな教育施策への対応に多忙を極めています。今回の判決とそこに至る過程は、そのような今日の学校を、一日も早くひとが大切にされる学習・教育の場、職場としていくことを強く求めていると思います。

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河崎 かよ子(元大阪府教員 / 大学講師)

裁判の逆転勝訴、ほんとうによかったです。改めて判決文を読んでみました。恵子さんのクラスの状況、超過勤務の実態はすさまじく、これが公務災害でなくて何であろうかと思うばかりです。しかし、当然のことが当然とみなされるまでにこれほど長時間かかり、これほどの労力が必要であったのはなぜだったのでしょうか。それはこれほどの重労働が実は教師の勤務実態として普通のことになっているからではないかと思いました。深い疲れは感じるけれど、仕方がない、やることはやらなければと日常的な過重労働に陥っている現実を改めて客観的に見たような気がします。ということは、第二の恵子さん、第三の恵子さんが出ても決して不思議ではないということです。恵子さんの犠牲が、今きびしい状況にさらされている教師たちがそこまで追いつめられず、命を全うするための方策を考えるための貴重な財産として生かされることを切に願います。

もう一つ思うことは、これは単なる過重労働の問題ではなく重大な人権侵害の問題であるということです。私は人権侵害が恵子さんを死に追いやった一つの要因と考え、この人権侵害にこそ怒りを覚えます。教師は自らの人権にもっと敏感であるべきだと思います。

逆転勝訴しても恵子さんは帰ってきません。改めてその死を悼み、心からご冥福をお祈りします。

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