弁護団のみなさん逆転勝利報告とメッセージ

杉山 潔志

荻野幸夫さん、「荻野労災認定を勝ち取る会」のみなさん、逆転勝利おめでとう。

2004年9月16日、大阪高等裁判所が「公務外認定処分を取り消す。」と判決文を読み上げたとき、一杯になった傍聴席から沸き起こった大きな拍手に私も胸が熱くなりました。

被災当時の校長先生の在任中に始めたいとの思いで、1994年3月26日に公務災害認定請求をし、そこから苦難の道が始まりました。「そんなことでは駄目だ。」とずいぶんと苦言を呈しました。勝利集会などの場で、私に怒られたという感想を述べる方が何人もいましたが、私も荻野事件で負ける訳にはいかないとの思いが強かったのです。

地方公務員災害補償基金京都府支部、同京都府支部審査会、同審査会、京都地方裁判所と次々と請求が棄却され、いよいよ後がなくなった大阪高等裁判所でのたたかいで、荻野さんも「勝ち取る会」のみなさんも知恵を出し合い、必死で立証活動に取り組んだ成果が逆転勝利に結びついたと思います。

逆転勝利判決を武器に今たたかわれている過労死事件や超過勤務是正裁判、教育職場の勤務条件の改善をさらに進めていきたいと考えています。

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「勝訴判決に思うこと」

弁護士 井関 佳法

高裁では公務の過重性を担当しました。

持帰り残業をどうやって認めさせるかが最大の問題でした。裏付け証拠が乏しい中で、たどりついた結論は、持帰り残業の構造的原因から明らかにすることでした。わがままを言って、お金も出してもらって専門業者の力もかりて、甲201号証を作りました。インプット時間とアウトプット時間は判決にも書いてもらえました。どうすれば裁判官に分かってもらえるか、真剣に考えた成果でした。

もう一つの成果は、学級崩壊でした。同僚の先生方が、自分たちで決めて生徒たちから話を聞くことになりました。荻野さんを困らせた生徒たちが集まってくれるのか、10年もたっているが大丈夫か、私は正直心配でした。しかし、沢山の生徒が集まり、初めて聴く話をいっぱい聞き出してくれました。生徒たちの陳述書が、荻野クラスは学級崩壊していたというショッキングな事実を動かしがいたものにしました。同僚の先生方の土壇場の踏ん張りが、予想以上の成果に結びつきました。

多くの人たちの力で、苦労して苦労して勝ち取ったこの勝訴判決が、教職員の働き方に生かされて、先生方が生き生きと働くことに結び付けられることを願ってやみません。

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荻野裁判を終えて

佐武 直子

逆転勝利の瞬間、法廷はしんと静まりかえった後、わあっという歓声でいっぱいになりました。あの一瞬のしんと静まりかえった張りつめた空気が今でも忘れられません。

私は大阪高裁の段階から事件に途中参加させてもらいました。10年に渡る戦いのほんの一部に参加させていただいただけですが過労死裁判の壮絶さを実感させられました。まず、本人が死亡しており事実調査が極めて困難であること。本人から事情聴取できませんし、周囲も日常的なエピソードなど意識せずに日々暮らしてきたわけですから、当時のことを掘り起こすことが極めて困難です。時間の経過も記憶を風化させます。次に医師の協力を得ること。一般の医療事件でもそうですが、医師は多忙ですし裁判沙汰に関わることが嫌なようで複数断られてしまいました。最後に教師の世界の常識や感覚を裁判官に伝えること。生徒との関係がうまくいかない時のつらさや教材作成の手間等、教師にとって当たり前でも外の人にはわからないこともあります。これらの困難を地道に一つ一つ解決された組合のみなさんの頑張りと支えてくれた方々の協力ですばらしい結果が出たことを心からうれしく思っています。

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