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[報告とお礼]大阪高裁で勝利判決が確定逆転勝利報告とメッセージ

大阪高等裁判所第9民事部(岩井俊裁判長)は9月16日、故荻野恵子先生(当時宇治市立西小倉小学校に勤務)の過労死裁判の控訴審判決において、「公務外認定処分を取り消す」との逆転勝利の判決を下しました。
高裁判決後、多くの方々の地方公務員災害補償基金と同京都府支部への「上告するな」のとりくみの中で、9月30日基金支部は上告を断念し、高裁の勝利判決が確定しました。
荻野先生の公務災害認定のために10年余にわたってご支援・ご協力をいただきましたことに心からお礼申し上げます。

1 荻野先生の公務災害認定のたたかいの経過

当時6年生を担任していた荻野先生は1994年1月、教室で脳出血を発症し倒れ、その後1年間の闘病生活の末、95年1月亡くなられました(44才)。

荻野先生(その後夫の幸夫さん)は1994年3月、発症は過重な勤務によるものだとして、地方公務員災害補償基金京都府支部に公務災害の認定請求をしましたが、1996年8月基金支部は「公務外」の決定をしました。
以後「公務外」の決定を不服として支部審査会・本部審査会でのたたかいをすすめてきましたが、いずれも「請求棄却」の不当な裁決が出されました。
荻野さんらは公務災害として認められないのは「納得できない」として、1998年11月公務外認定の取消を求めて京都地裁に提訴し、裁判でのたたかいをすすめてきました。
しかし京都地裁は2002年9月、荻野先生の勤務は「通常の業務の範囲内」、発症は「『もやもや病』の自然的経過によるもの」、「冬休みに疲労は回復していた」などとして基金支部の主張・証拠を採用し、「請求棄却」の不当判決を言い渡しました。その後大阪高裁に控訴し、2003年2月から控訴審でのたたかいをすすめてきました。

2 大阪高裁でのたたかい

荻野さんと「公務災害認定を勝ち取る会」は、一審までの立証の不十分さや問題点を掘り下げ、荻野先生の勤務や生活について再度見直し、学級の状況や時間外勤務の内容と時間を検証するなど、認定を勝ち取るために全力をあげてきました。
第1に荻野先生が担任をしていた多くの教え子・同僚教職員らの「陳述書」や、「学級崩壊」について研究者の「意見書」、「学級崩壊」を現に体験した教師の「陳述書」を通して、学習遅進児の指導や問題行動を繰り返す子どもの指導で、荻野先生の学級が極めて困難で、「学級崩壊」の状況にあったこと、第2に新宮正医師(前寺岡整形外科病院副院長 脳神経外科)の「意見書」を通して、荻野先生の発症は「もやもや病の自然的経過によるものではなく、疲労の蓄積や精神的ストレスの負荷による血行力学的負荷の増大によるものである」こと、第3に荻野先生は「困難な状況におかれ、休みの間に気が休まることはなかったと推察される」として、疲労困憊の状況にあった荻野先生の心身の疲労は、冬休みには回復していなかったとの吉川武彦医師(中部学院大学大学院教授)の「意見書」などを提出し、一審判決の誤り・問題点を多くの証拠を通じて明らかにしてきました。

3 大阪高裁判決の画期的な内容

裁判所は証人調べを行うことなく審理を終結しましたが、荻野先生の勤務が過酷な状況にあったことをていねいに認定したこと、脳出血の発症が「もやもや病」の自然的経過ではなく、過重な公務によるものと認定するなど画期的な判決といえます。

第1に、荻野先生の勤務状況について授業準備等はおおむね勤務時間外に学校や自宅で行っていたこと、問題行動を繰り返すO君への指導は「労働を過重」させ「精神的緊張を伴う職務」と認め、学習遅進児に対する指導などとともに、「学級崩壊寸前か崩壊を始めつつある状態」として公務の過重性を認定したこと。

第2に、時間外勤務の時間数をていねいに認定し、「公務起因性を肯定できる時間外勤務の時間数をはるかに超えている」と認定したこと。

第3に、冬休み期間中も時間外勤務を毎日し、疲労は回復せず3学期を迎え、また精神的にも相当の心労を持ったままの状態で、「蓄積した疲労は回復したとは認められない」としたこと。

第4に、「もやもや病」と発症の関係について、「高度の疲労及び睡眠不足を来たすような過重な公務があり、過重公務がもやもや病の自然経過を早めて増悪させるなどして、発症し、死亡したことが認められ、過重な公務との間に相当因果関係を認めることができる」としたこと。

第5に、「持ち帰り仕事は緊急・必要性のないもの」とした基金の主張に対し、「教育の効果をあげるためには、相当の準備が必要で、相当程度の時間外勤務を要すると認められ、荻野先生はそれを実践しようとしていた」として持ち帰り仕事を時間外勤務に含め、「教育に対する積極的な姿勢を示すもの」と認定したこと、など。

4 荻野先生の死を無駄にせず、健康で働き続けられる学校現場を

荻野先生の公務災害認定にむけて、裁判傍聴や要請署名(個人53014筆、団体1907)にご協力いただいた全国各地のみなさん、荻野先生の過重な勤務を立証するために「意見書」や「陳述書」、教師の労働実態を明らかにした「一言意見書」などにご協力いただいた方々、認定闘争をすすめていく上でご指導・ご助言をいただいた方々、各地の公務災害(労災)認定のたたかいかいを通して、連帯し励ましていただいた方々、そしてご遺族・ご家族を激励し支えていただいた多くのみなさん、本当にありがとうございました。ご支援・ご協力をいただきましたみなさんに心からお礼を申しあげます。
荻野先生の死を無駄にすることなく、高裁判決を生かし、教職員が元気で働くことができる学校・職場をつくっていくために引き続き奮闘することをお誓いし、報告とお礼とさせていただきます。

2004年 10月 荻野先生の公務災害認定を勝ち取る会/宇治久世教職員組合/京都教職員組合

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